「おかあさん、だっこして」
そう言いながら母の膝に乗ろうとすると
「あーもう、大きくなったにオカシイよ」
と、払いのけられる私。
母親に対する毒出しに取り掛かった初日にポンと浮かんだのはその記憶でした。
今回はこちらの記事の続きになります ↓
物心ついた頃から、抱っこはおろか母とのスキンシップは一切された記憶がありません。「甘やかすとロクな子にならない」そればかり言われていた事を覚えています。
目を閉じて、記憶の中の母に思い切ってもう一度言ってみます。
「おかあさん、だっこして」
それでもやっぱり払いのけられる私。
母の顔も真っ黒で表情も見えません。
「なんでだっこしてくれんの?」
「ちゃんと私見て!」
思いつくままに話しかけるけど否定されるばかり。そうこうしていたら別の記憶が蘇ってきたので今度はそちらに取り掛かりました。なんか・・・やってはみたけど上っ面な感じ。その感情を今度はノートにしっかり書き込んで行きます。
こんなのやっても意味あるんかな
あー-もー--ほんとイヤ
可愛がれないなら産むなよ
父の時よりも多めに暴言が出てくることにも苦笑いです(;^_^A
次の日も、その次の日も。
抱っこを拒否された過去に戻りイメージワークをやってはみるものの相変わらず母から拒否される結末で終わり、別の嫌な記憶が浮かび上がってきてそちらに取り掛かるという作業を続けて6日目。
紅茶を淹れていたらフと
「あんた達(私と妹)が居たから離婚できんかった」
と、母がよく言うセリフを思い出し、その瞬間怒りがわいた私はすぐさまノートに書き込みました。
人のせいにするとか情けない!
自分の意気地がないだけやん!
親が子供に言う言葉か!?
初めはいつも通り、怒気ばかり。ところがこの日は書いていく内に段々と泣き言へ変わっていきました。
なんでそんな事言うん・・・
そんなん言わんでよ・・・
だけん私のこと嫌いなん?
書きながら涙がこぼれていきます。
「私たちが居たから離婚できんかった」なら
私が産まれなかったらお母さん離婚できたんだ、と思った瞬間出たのは
お母さんの人生を台無しにしてごめんなさい
この言葉でした。
自分でも驚きでした。母に対してこんな気持ちを持ったことがない。
いつも母に対しては怒りと、「いや、でも産んでくれたし」無理やり言い聞かせての感謝(とは言えない)しかなかったのにゴメンナサイ???
そっか私、お母さんが不幸なのはずーっと自分のせいって思ってたんだ。
私が居るからお母さんは嫌な思いを我慢して我慢して、結婚生活を送ってる。
だから私は自分が幸せになっちゃいけないと思ってるんだ。
お母さんが不幸なのは私のせいだから。
あら??じゃあ私、お母さんの事が好きってこと??
ここまで辿り着いて二度ビックリ!!
”子供はどうしたって母親が好き”はセオリーで分かってはいたけど、その気持ちが湧いたことは一度もありません。ところがこの時は自然とそう思えました。
瞬時に抱っこを拒否された記憶が出てきました。
毎日取り掛かったけど一向に変化しない過去の記憶。
「おかあさん、だっこして」
いつものように記憶の母へ話しかけたところ、これまでと違う展開になりました。
「ほらおいで!」
と膝の上に私を乗せて抱っこしてくれたのです。
「おかあさん、あのさ、大好き」
今までいっっっかいも思ったこともない・口に出したこともない言葉。一度目は小さな声でしたが二度目はハッキリ言えました。
「おかあさん、大好き」
言った途端また泣いてしまいました。これか~!私はこれを抱えていたのか~!お母さんが大好きなことを認めたくなかったんだ。アホやん、私。嬉しくて嬉しくて泣き笑いです。
目を開けたらグッタリスッキリ。全身に力が入らず、抜け殻のようになっていました。
淹れている途中だった紅茶は煎じ薬のようになっていて真っ黒。一口飲んでみると渋くて苦くて。でも不思議と美味しくも感じました。
70代の父と母。43歳の私。
そうか私、ずっと反抗期だったのね、と素直に認めるとさらに全身脱力。
そしてその翌日、現実の父と母が離婚しました。
テラスのモミジが毎日ぐんぐん大きくなっています(^▽^)
蓬屋